820広島土砂災害から一年 その後の被災地>

 

 先日訪れた広島土砂災害の被災地の様子を少しお伝えします。

 

安佐北区可部町桐原(とげ)では、今回の土砂災害後初の砂防ダムが完成しました。現在、災害を受け被害が大きかった安佐北区と安佐南区などで35ヶ所の砂防ダムの緊急整備が進められています。けれども一方で、報道によると砂防ダムの用地交渉も補償額などをめぐり7080世帯が立ち退きの対象ですが、8月初めの時点で半数近くが契約をしていない状況だそうです。以前も「どうして、災害で被害を受けていないのに、住み慣れた家を引っ越さなければならないの」という被災者の方のつぶやきを聞いたことがあります。

 

 安佐南区に昔から住んでいる方の話を少しお聞きしました。八木地区や緑井地区あたりは、50年前あたりから宅地造成が進んでいったそうです。今回被災があった住宅地のすぐ麓にはJR可 部線という線路があるのですが、以前はその周辺は田んぼだったそうです。当初は農業用水が乏しく、近くを流れる太田川から水を引き入れ、八木用水という用 水路を確保したそうで、いまだその用水路が残っています。田んぼだったり、まさ土だったりと水分を多く含みやすい土地だったんだとあらためて感じました。

 

 また、今回大きく被害を受けた八木地区の住宅地は阿武山という山の斜面に作られていますが、放水路や雨水管も許容量を遥かに超えてしまい、今後防災対策の面からも様々な整備が迫られているのでしょう。

東日本大震災の被災地をみていると、津波を防ぐために大きな要塞のような防潮堤が沿岸各地に出現しています。でも住民のみなさんは海が見えなくて逆に不安を訴え、防潮堤よりも高台に逃げる安全な避難路を作ってほしいという声を最近よく耳にします。




 

 一部の手つかずの被災地で不安と隣り合わせの広島ですが、安全面を確保しながら、住民のみなさんが望まれる安心した暮らしを時間をかけて話し合ってもらいたいです。被災地KOBEの一部地域では、行政主導の大規模開発により、20年経ったいま商店街はシャッター通りとなり、活気のあった街並みが失われたようになってしまいました。他の被災地ではKOBEが犯したような同じ過ちを繰り返してほしくありません。

 

 

 被災地岩手から届いた蝋燭が静かに被災地広島を灯しています。復興への願いを込めて・・・。


(文責:増島 智子)